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2014年12月19日 (金)

流氷記の視点

毎日でも更新したいのだが、生来の怠け癖が直らぬらしい。思いついたので今のうちに書いておきたい。これは歌を作っているうちにできてきた思想なのかもしれない。

『どうにでも言える論理』(『どうとでも言える論理』)。そして『そこだけにしかない論理』である。長年生きていると、世の中はこの二つの論理で占められていると感じる。

  どうにでも言える論理の応酬に少し厚かましい方が勝つ

  そこだけにしかない論理弄ぶどこにでもいる人の群れあり

といった歌になるのだが、まぎれもなく、この論理が、ある国家の独裁的なやり方になり、宗教の絡んだ暴力的な組織になったりする。死刑になったり殺されたりという実害を伴うものにすらなるのだ。その根底は『そこだけにしかない論理』であり『どうにでも言える論理』である。  歌を作っておいて良かったなとこの頃つくづく思う。世の中の構造が、ある一面ではっきりと見えてくるからだ。鬱々として何か分からなくなる混沌の正体が見えてくるとき、さらに創作への深奥な部分が現れてくるからである。

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