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2014年11月 7日 (金)

玄侑宗久『阿修羅』

ブックオフで108円で購入したものでだったが、久しぶりに読み応えのある面白い読み物だった。玄侑宗久といえば『中陰の花』と『アミターバ』を読んでいて、生と死の境が独特の風味で描かれているものだが、『阿修羅』は一人の人間に三人の人格が存在する話。身近な家族にもそれを感じることが多々あるので納得のいく箇所も多く、ぐいぐいと引き寄せられて読んでいった。過酷な場面に遭遇した時、人はそれぞれに何らかの行動を起こしてそれを通過していくものだというところに妙に納得するものがあった。違う人格になることによって消化していくのだ。幼いときのことを思い起こすと、自分はこの自分を演じているだけだという自負をもって、辛い気持ちをやり過ごしていたことがあった。傲慢な言い方だが、自分はどこかの王子か何かで、たまたまこの両親に預けられているだけだ。だから、自分をきつく叱っているのも王子である自分を鍛えているだけ、だから耐えよう、といった具合に。そんな気持ちでいたことを思い出した。僕は小さい頃からさまざまな変な癖をもっていた。首を振り続けたり、上唇を鼻で吸う動作を繰り返したりと‥‥『阿修羅』の内容は他にお任せするが、この小説のいろいろな箇所にうんうんとうなずきながら読んでいった。今朝一応読み終えたが、これから本当に読んでいく時間を持ちたい。ちょっとわくわくする時間をもてた。

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