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2014年10月31日 (金)

三浦光世さん亡くなる

先ほど、込堂一博さんから、30日夜に、三浦光世さんが亡くなったとの知らせがあった。この4月25日に『氷点50周年』で旭川に会いに行ったのが三浦さんとの最後になった。今は言葉がない。父親のような存在だった。三浦綾子が好きだった母が「光世さんは神様のような人」だと常々言っていたので、網走の二つ岩海岸でお会いしたとき、胸が熱くなったことを昨日のように覚えている。その時も初対面という感じではなく、長い間、僕を離さないで、続・氷点で『燃える流氷』を見た実際の部屋へ導いてくれて、秘書の方に促されるまでずっといてくれたことを覚えている。僕の文庫本『流氷記』の表紙の推薦文も書いてくれた。次々に身近な人が天に召されていく。僕はキリスト教徒ではないが、光世さんといるときには、素直なキリスト教の信者でいたような感じだった。不思議な人、かけがえのない恩人、また少し力が抜けたような気分です。

Dsc_1005初めて会ったとき


Cimg03712氷点50周年で

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2014年10月12日 (日)

流氷記の更新

ここ、どうしてもさぼりがちになってしまいますので、気がつくと更新するように心がけています。昨日も奈良の高岡哲二さんから一首評が届きました。高岡さんは故近藤英男先生からの紹介で、現在朝日新聞の大和歌壇の選者をしているようです。ようです、というのは、彼のことを知らなくて、ある日ふっと、妻の友人の奈良県の人の送り物の包み紙で、朝日新聞大和歌壇の処を見ることがあり、それで知った次第です。ともあれ、流氷記も先程更新しました。今年中には61号を出したいなと思っています。

61号歌未刊 http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/utashuu061.html
61号一首評未刊 http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/61ishuhyou.html
流氷記HP http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/      

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2014年10月10日 (金)

流氷記も少しずつ少しずつ

前の更新から一ヶ月近くが経ってしまいました。その間、仕事に追われる毎日、忙しいというより気苦労というか、戸惑い思い悩むことの方が多いです。流氷記で思考を重ねてきた、そこだけにしかない論理、どうにでも言える論理が、ねばならぬ論理にいつの間にか変わって、倫理や規則に変わって力をもってくる、いつもその原点を思うだけに、その過程が哀しく、同調できない戸惑いの中で暮らしています。というのが、今の思いなのでしょうか。かの拉致の国の小役人のような教師にはなりたくありません。最近従軍慰安婦の話、吉田清治という人の全くの作り話だったという事実が明らかにされました。これは以前から言われていましたが、思い返すと、学校では、日本軍人の漫画入りの資料まであり(今思うと、中国や韓国の反日教育の中の日本軍人像そのまま)、僕も、それを信じて与えられた学活などで教えていました。きわめて真面目にです。そんなことは、職場では今、誰も口にしません。ただ、教師は常に生徒を教え諭すのみ。正しいことも正しくないこともあるかもしれません。教師という何か不思議な生物の存在を思わないではいられません。そんなところです。今は秋、真っ青の空やいわし雲、爽やかな風など、もっと外にも目を向けて行きたいですね。

流氷記HP http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/    

61号歌未刊 http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/utashuu061.html
61号一首評未刊 http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/61ishuhyou.html
Eメール ryuuhyouki@nifty.com
流氷記全批評者 http://www.geocities.jp/kawazoeeiichi/zenhihyousha.htm

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