虎谷校長のこと
この3月の末に、『虎谷先生と語る会』という催しがあると、少し前から案内の紙が机上にあったのだが、そのままにしている。今までこのブログにも虎谷前校長はすばらしい人であったことは何度か書いてきた。しかし、こういう派手な催しは僕には合わないし、ご遠慮申し上げる。お世話になった藤本義一さんの葬儀には参加しなかったが、この3日、次女、芽子さんとじっくりとお話しできたことで、少し肩の荷を下ろした、そのようなことで、ご理解いただければ有り難い。芽子さんにも「僕は、ご愁傷様です、とか、ご冥福をお祈りします、なんてことが言えないので‥」と申し上げてから、いろんな話をした。藤本義一さんが僕の歌を通して書いてくれたたくさんの原稿はこのブログでも紹介し残っているし、これからも藤本義一さんのことはこのブログや『流氷記』に書いていくことになると思う。
虎谷校長についても同じである。月とすっぽんという言葉があるが、すっぽんについては一切書かないし触れたくもない。そう書いて、成る程、虎谷校長を何にたとえるかというと、『満月のような、人の心を温かくさせる人』だなと思った。この頃、何かにつけて虎谷校長のことを思うことが多いが、彼の面影と満月とが重なってくる。彼が満月に見えるようにすっぽんにしか見えない人もいるのだろう。
校長という立場から、上意下達の立場から、厳しいことを言ったり、時には僕ら部下にとっては納得できないようなこと言わざるをえないこともある。それでも彼の言葉には何か納得するものがあったし、何より彼自身に愛があった。どんなに丁寧な言葉を使っても、どんなに優しい言葉を使っても、それは受け手にとって愛を感じなければ、本当には受け取れないものである。彼は一人のにんげんとして接し、僕らも彼を一人のにんげんとして感じ、受け止めたということなのだろう。彼は「オレな‥」と、オレという言葉で語ることが多かった。その時には校長も僕ら再任用教諭もなかった。偉そうに、という部分が全くなかったし感じなかった。学校には朝早くから学校の掃除などをしてくれる、縁の下の力持ちともいえる校務員の方がいる。学校をきれいにしてくれて本当に尊敬できる人ばかりである。こういう人に対しての物言いを聞くと、その校長がどのような人であるのか、だいたい分かる。虎谷校長はそのような人とも全く隔てがなく、聞いていて気分の良いひびきがあった。
これも前に書いたことだが、僕がとんでもない勘違いの書類を出したことがあった。僕は再任用という立場なのだが、この再任用を来年度も更新するか、やめるのかを問う書類である。そう書けば、すんなり間違いもなく更新するに○をするのだが、文面では「更新」ではなく「変更」といったニュアンスがあり、「変更しない」のだと思いこみ、「更新しない」に○を付けてしまったのだろう。この書類を出す前に僕の意志を校長は聞き、来年も同じように考えているのでよろしくお願いしますと答え、それとは違った答えを書いたので、確認するのは当然とも言える行為なのだが、提出して彼はすぐに僕を呼んでくれて確認してくれ、無事、訂正してくれた。この出来事は、彼にとっては当たり前のことだったのだろうが、僕はこのブログで『本当の名探偵とは』という題名で、感謝を込めて書いたものだ。
彼のちょっと愛らしい笑顔はとても魅力的であったし、話をするのも楽しかったし、校長室に入るのが楽しみだった。校長室にある冷蔵庫の開け閉めをするのを口実に彼の温かさに触れに行ったこともたびたびだった。
これからも虎谷校長については書くことがたびたびあると思う。僕にとっては高槻十中の時の好田吉和校長(今も家族がらみのお付き合い。『甲田一彦』として流氷記にも参加してくれている)と共に心に残る素晴らしい校長である。「虎谷先生と語る会」には出ないけれど、これで充分だと自分では思っている。
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