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2013年1月13日 (日)

本当の名探偵とは

  前回に書いた桜宮高校の暴力(体罰ではない)事件が気になって心に渦巻いている、今までに感じてきた色んな思いが次々に甦る。今日のサンデーモーニングでもコメンテーターの一人が「体罰は指導者の怠慢ではないか」と言っていたが、本当にその通りだと思う。ミスや失敗をする前に気づいてそうさせないというのが本当の指導である。指導者は自分の数多くの経験からもたくさんのミスや失敗の形がわかる筈である。だからこそそうならないように指示し導いてやるのが文字通り指導である。生徒が試合で失敗したりミスをしたりしたとき、自分の指導が至らなかったから申し訳ないと、もし指導者が謝ったとしたら、生徒は決してそうだとは言わないだろう。逆にますます努力しようとするのではないか。人と人との尊い触れ合いであるべきもの。ビンタをして奮起させるというのは相手を畜生として扱うことだ。この『畜生』という言葉も、動物を馬鹿にし軽視したニュアンスがあって、僕は好きではない。この顧問は生徒を畜生の目で見ているに過ぎないのだと思う。ミスや失敗をする前に気づくのが‥‥と書いて、思い出したのが、本当の名探偵とは、という思いだった。名探偵と呼ばれる金田一耕助やコナンなど、彼らの目の前で次々と殺人事件が起こってしまう。だから彼らは名探偵なんかではない。ということで思い出したのが古畑任三郎シリーズ第32話『再会』(古い友人に会う)で、事件が未遂に終わるというストーリーだ。津川雅彦がゲストだったが、古畑は彼に犯罪を起こさないように巧妙に推理し立ち回る。さすが三谷幸喜の作ったものだと感心した。事件も犯罪も起こらず、目立たないけど、事件も犯罪も起こさないようにするのが本当の名探偵だし、殺人を見過ごしながらその後に犯人を推理したり、失敗した生徒に暴力をふるうのは決して名探偵でも、優れた教師でもない。古いプロ野球の話になるが、ショートの広岡は本当の名人だと言われたことがある。かのサードの長島はきわどいボールの捕り方をして華麗に投げるが、広岡は常にボールを正面で受け、確実にボールをファーストに投げる。何の危なげもなく目立たないが、あれが本当のプレーだという人があった。教育者こそ上に立つものこそこうでなければならない。虎谷前校長はすぐれた指導者だったと改めて思う。もう一昨年のことになるが、大切な提出の書類に勘違いでとんでもない所に○をつけたことがあった。もし虎谷校長がそのまま提出していれば、大変なことになるところ、彼は直ぐに僕を校長室に呼んでくれて、これでいいんか、と確認をしてくれた。書類は直ぐに訂正されて後に無事に提出されたが、今、そのことを思い出した。何の事件にもならず、彼もいつもの穏やかな風貌でいたが、あの時を思い出すと、さすがだったなと改めて思う。彼は僕より年下だったが、自ずからなる風格を湛えていた。なつかしい。スポーツの優れた指導者も例えばなでしこジャパンと佐々木則夫監督のように、互いを尊敬し讃えられるようになるのだと思う。そんなことを思った。

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