短歌の鑑賞文から
先週行われた一学期末テストに出題した短歌の鑑賞文。教科書と生徒に配った近代現代の短歌プリントからの一首の鑑賞文を百字以内で書けというものでした。素敵な鑑賞文が多かったので名前を抜いて順にここに掲載します。五点満点でしたが、少し手直しすれば良くなるものは修正してここに載せたので、点数は五点から三点までのものです。ほとんどがそのままのものですが。
☆くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る
少し伸びた薔薇の、やわらかな芽にやさしく春雨が降るという身近な情景をうたった歌である。全体的に優しい印象を与えてくれ、薔薇の芽の力強さが感じられ成長もうたっているといえると思う。
☆思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 麦わら帽子のへこみを思い出として直さず、そのままにしておく情景を口語でうたったもの。口語の力により親しみ深さがある。麦わら帽子のへこみに寄せられている思いに、温かさのある美しさがあると感じた。
☆観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
君にはたった一日の想い出になるだろうけど、ぼくには一生の想い出になるというところが好きです。観覧車に二人が乗っているイメージが頭の中に浮かんできます。何だかロマンチックでいいなぁと思いました。
☆海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
この短歌を読んで、海を知らない少女に向かって手を広げて、海を伝えようと一生懸命な少年の姿が想像できました。少女の真剣さや少年の熱意がわかって、少年と少女の純粋な気持ちが伝わってきました。
☆観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
これは作者の恋の切なさを歌ったうたです。「君には一日」「我には一生」という対句を使うことによって、この恋のはかなさを感じます。読んでいるだけで、何だか自分まで恋をしているような気持ちになりました。
☆土鳩はどどつぽととつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ 私はこの歌を読んで、すごくインパクトのある表現に注目した。それは「どどつぽ」だ。鳩の鳴き声を「どどつぽ」とした作者は自分の思いを素直に表している。私も、感じたことを素直に表現できる人になりたい。
☆向日葵は金の油を身に浴びてゆらりと高し日の小ささよ
この歌を選んだ理由は、作者の向日葵の見方が面白いと思ったからです。僕は向日葵が多く咲いている所で育ちましたが、一度も向日葵をすごいと思ったことがなかったので、向日葵の新しい見方を知り良かったです。
☆君返す朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ
この歌のくわしい意味はわからないけれど、初めて読んだときからこの歌が好きでした。雪が林檎の香りのようにきれいに降っているのはすごくきれいだし、雪のことをこんなふうに感じられるのはいいなぁと思いました。
☆今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
この歌は、壮大な海を眺めていると、自分のついた嘘なんてとてもちっぽけに思えてくる、そんな海の壮大さを歌ったものだと思います。海を見ると嫌なことも忘れ、とても優しい気持ちにもなれると思いました。
☆金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
私はこの歌を読んで「いちょう」という植物を「鳥」と、とらえる人もいると知り、物のとらえ方は人それぞれだなと思いました。私も一つの物を同じ角度からでなく、さまざまな角度から見られる人になりたいです。
☆今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
この歌を私が選んだ理由は、「海」という字が自分の名前と同じだったからです。この海はとても心の広い海だと思います。私の名前の由来も「広い心」なので、この海と同じように私も広い心を持とうと思います。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
この歌を読むと、とてもきれいな情景が頭の中に浮かんできます。夕光のなかにしだれ桜がまぶしいくらい輝いている光景です。読んでいると心が癒されるし次の桜の時期が待ち遠しくなる、そんな歌です。
☆向日葵は金の油を身に浴びてゆらりと高し日のちひささよ
この短歌には私の名前の葵という文字が入っているので、お気に入りです。華やかな黄色が目立ち、背の高い向日葵はきれいだと思います。私もこれから向日葵のように大きく、のびのびと成長したいです。
☆寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ
当たり前のようなことだけど、よく考えてみると、答えてくれる人がいなければ会話が成り立たないし、何だか寂しい気持ちになってしまいます。そういうことを考えさせてくれる歌だと僕は思いました。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
夕方のうす暗い中でも、白い桜の花がまぶしいくらい輝いている様子が思い浮かびました。桜といえば入学式、桜の前でみんなが写真を撮ります。その時の喜びが桜の花に染みこんで、輝かせているんだと思います。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
赤々と染まる夕日、そしてそれによってきらびやかに光る桜を想像しました。桜の濃い色は、夕日の鮮やかな色をいっそう引き立たせてくれます。この歌は桜の輝き、美しさを表現しているのだと感じました。
☆真砂なす数なき星のそのなかに我に向ひて光る星あり
たくさん星が夜空に光る中で、自分に向かって唯一光る星があるというのが心に残りました。人もたくさんいる中で、誰か一人は自分のことを見ているのではないかと思い、この短歌の深さを知りました。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
綺麗な歌だと思った。目の前に、堂々としだれ桜が咲いていた。夕方の、明るすぎず暗すぎないなかに、桜だけが輝いている。想像するだけでも、桜の美しさが感じられ、幻想的な世界に引き込まれるようだった。
☆不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心
不来方のお城の草の上に寝ころんで、空を眺めていることから、まだ若くて自由な十五歳を表している。大きな空を眺め、自分の夢やあこがれを心から解放して、大きくふくらませ、想像しているのだろう。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
夕方のきれいな夕日の中に満開のしだれ桜が堂々と輝きながら垂れている情景がとても美しい。普段とはまた違ったきれいさを身にまとい、夕日の黄金色に染められているしだれ桜はほんとうにキレイだ。
☆寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ
とても切なくて優しい歌だと思った。私が考えるこの歌の意味は、奥さんが亡くなって、今では話しかけてもこたえは返ってこないが、いた頃は幸せだった、というふうにとらえた。だから私自身も切なくなってしまった。
☆白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
白い鳥には、ある哀しみや孤独があるのが青い空や青い海から感じられます。それでも白い鳥は青い風景に染まらず美しくいるんだと思います。私も、そのような美しく誰の心にも染まらない自分を作っていたいです。
☆寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ
寒いねと話しかければ寒いねと返してくれる人がいて、自分は一人ではないという温かさを感じるというもの。私も友達とあいさつを交わすたびに仲間がいる、一人ではないのだと思うので共感しました。
☆海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
ぼくはこの歌を聞いて「われ」は少女のお兄さんだと思いました。まだ海を見たことのない妹に、一生懸命に、海の壮大さ、地平線を表現してあげているのです。兄弟思いのいいお兄さんだなと想像しました。 ☆ジャージーの汗滲むボール横抱きに吾駆けぬけよ吾の男よ
この歌は、ラグビーの試合で必死に相手陣地にボールを運ぼうとする姿が浮かんできて、たくさんの男の人が自分の中の男らしさを奮い立たせる気持ちが伝わってきて、男同士の闘いがとても熱く感じた。
☆清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
桜が満開になり、ライトのように照らす月の夜、祇園へたくさんの人が集まる。そこで逢う人はみな美しく見える。思わず、恋をしてしまいそうだ。ピンクに染まった静かでロマンチックな夜だったろう。
☆思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
どうしても忘れたくない思い出を残しておくように麦わら帽子にある一つのへこみを残しています。大切な思い出をどのような形でも残しておきたいと思う作者の純粋であたたかい思いを感じることができました。
☆夕光のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝きを垂る
この歌を読んだとき私は小学生の頃いつも通った桜通りのしだれ桜を思い出しました。小学生の頃は何でもない情景だったけどあらためてこの歌を読んでみるととても心に響きました。それほどいいきれいな歌でした。
☆街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
子供の傍を通ると蜜柑の香りがするからまた冬がやってくる、という作者の考え方になるほどと思いました。私は冬が来ると昔住んでいた宮城県の雪のにおいや冷たい風のにおいでまた冬が来るんだと思うので共感します。
☆清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
美しい桜に月のほのかな光が当たり、すれ違う人までもを美しく見せている美しい情景を思い浮かべることができます。私も、幼い頃から見てきた、たくさんの美しい風景を思い出したので共感しました。
☆桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわれ眺めたり
桜が生命をかけて咲いているのだから、自分も生命をかけて見ようという意味です。この歌から、相手と同じように自分も一生懸命見ようという気持ちと、桜の花びらの輝きと命のはかなさを感じました。
☆この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日
大切な人の些細な一言で、その日がとてもすばらしい一日となる。大切な人といると毎日が記念日のようなすばらしい日となる。私は、家や学校、部活などにたくさんの大切な人がいるので、この歌に共感できます。
☆はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる 「遠き死を売りにくる」とはとても意味深な言葉だと思った。もちろん実際に「死」という物を売りにくるわけではない。けれど人は死を一つの個体とし、それを商品として売っているようで何か悲しいと私は思う。
☆向日葵は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ
向日葵が太陽の光をさんさんと浴びている光景が目に浮かびました。向日葵が地面からぐんぐん生長していって、太陽が小さく見えるほど成長して、夏の季節のとても元気の良い感じが伝わってきました。
☆金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に
季節は秋。金色のいちょうが夕日の照らされた岡にゆらりと静かに散っていく情景が思い浮かぶ。小鳥も同じように、その生涯ははかない。たった一羽で死を迎える小鳥の姿が見えてきて作者と同じ悲しい気持ちになる。
☆海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
場面がはっきりと浮かんできます。海のことを知らない少女に少年が自分の知る限りの海の広さ、大きさ、偉大さを精一杯少女に伝えています。単純な歌のようで、少年と少女の絆を感じることができました。
☆死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる
この歌から斎藤茂吉の母に対する愛情を強く感じた。死が近づいた母に寄り添いながら、夢か現実か分からないほど寂しかったと思う。天に昇らないでと願ったはずだ。私にも蛙の鳴き声が聞こえてきた気がした。
☆今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
この歌を読んだ時、とても澄んでいて、どこまでも広がっているような海が思い浮かびました。今日までにという所から、今までの悪い思い出を全て洗い流してくれるぐらいに心を包み込む海だと分かりました。
☆寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ
人は大きな壁にぶち当たった時、孤独を感じます。でも、実際は支えてくれる人がとなりにいて、自分もその人を支えているんだと、この歌から感じました。優しい言葉をかけられると、空だって飛べそうです!
☆街上に轢かれし猫はぼろぎれか何かのごとく平たくなりぬ
この歌を読むととても悲しくなります。僕もこういう猫を見たことがありますが、その夜全然眠れませんでした。人間が楽だからといって車を作って猫の命をたくさん轢いていってしまい申し訳ない気がします。 、
☆海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
彼が海を知らない少女の前に立って、地平線を体で表現しているところに優しさを感じる。一生懸命海の大きさを知ってほしい純一な熱意につい、感動してしまう。私も必死になって伝えられることを見つけてみよう。
☆今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
この歌は、人が嘘をいっぱいついてひどいことをしてしまっても、また、これからやり直していけばいいじゃないかと言ってくれているみたいで、ぼくは、初めて聞いたときから好きになったから選びました。
☆鳳仙花ちりておつれば小き蟹鋏ささげて驚き走る
小さな蟹の近くで鳳仙花の花びらが落ちたことで、蟹が大切な物を持って、急いで逃げていく様子が思い浮かびます。小さな蟹が大きな世界で、一生懸命に生きているということが、よく分かる短歌です。
☆今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海
誰でも嘘は一回ぐらいついたことがあると思います。嘘をついたら気分は晴れないし気が重いです。でもそんな時、果てしなく青く広い海は何でも受け止めてくれます。そういう不思議な力に素晴らしさを感じました。
☆東海の小島の磯の白砂にわれなきぬれて蟹とたはむる
泣いている自分を蟹がなぐさめてくれていると私は感じましたが、調べてみると「何もすることがないから蟹と遊んでいる」と書いていました。一人一人歌の感じ方は違うけど寂しい情景の歌だということは同じでした。
☆紫陽花の葉に次々と落ちてくる雨あり木琴叩くがごとし
この歌を読むと、すぐに一つの風景を想像することができました。紫陽花のたくさんの葉に次々に雨が降り、その葉の一つ一つが音を出して応えます。まるで紫陽花の葉と雨が素敵な合唱をしているようです。
☆観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
憧れの人と観覧車に乗ることができ、うれしさや楽しさの反面、相手はあまり自分のことを意識しておらず、切なさがこみ上げてくる、などの気持ちは身近でもあるので、とても親しみやすい短歌だと思いました。
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