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2011年7月 3日 (日)

『島田陽子さんとお別れする会』の報告

 すっかり遅くなりましたが、先日、六月四日の土曜日に四時からアウィーナ大阪で行われた『島田陽子さんとお別れする会』の報告をしておきます。三時半頃でしたかアウィーナの受付に行くと、受付にいた中島和子さんから「川添さんは身内だから席は無いわよ」と顔を見るなり言われました。会場は沢山の丸テーブルが置かれている大きな部屋で、その片隅に椅子が並べられていて、ここが叢生とぎんなんの場所だということ。ぎんなんの人や元ぎんなんの人が狭い空間に揃い、懐かしいような、喜んではいけないような、ちょっと妙な感じが最初にはありましたが、これは島田先生が会わせてくれたことなのでと皆が思ったのか、直に和気藹々とした雰囲気になりました。『お別れする会』の本会ではぎんなんに載った島田先生の詩の朗読を柿本香苗さんが。彼女こんなにも朗読うまかったかなと正直感心しました。詩の朗読や紹介では『滝』(『叢生』一二〇号。島田陽子詩集『私が失ったのは』九二頁)の詩が印象に残りました。

滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
思いとどまることも
引き返すことも許されなかった

断念が川を白い瀑布に変えた
まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安がまっていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる

ひとは立ちつくす
絶え間ない轟音に耐え
はるかな空からのやわらかな光に包まれて
(とり返しのつかないものとは何だったのか)

 潔い覚悟とその言葉が、島田陽子を語るのにふさわしかったからなのでしょう。僕も彼女から詩集が送られてきた時、この詩を取り上げて感想を送った記憶があります。『弔辞』や『島田さんを語る』で、さまざまな方が、自分が一番彼女に親しかったという感じで語られていたのがとても興味深く感じました。実はぼくもそう思っていたからです。これは島田陽子という人のもつ魔法というか魅力の一つなのでしょう。彼女と話しているとき、まさに一期一会で心深いところで語っているからなのでしょう。本物のご主人やご子息が最後に挨拶をされていたとき、一応にみなが恥じらいの表情を見せていたような、何とも言えぬ空気が流れました。そんな光景を見ながら、島田先生は写真の中で笑っていたけど、本当にそこにいたような気がしました。

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