4月3日(土)浄土宗大本山善導寺に
報告が遅くなりましたが、この3日には福岡県久留米市にある善導寺の鎮西研究所で話をしてきました。僕が昨年手に入れた『鎮西国師行状和讃』が新しい発見で、現在、聖光房弁長つまり鎮西上人の和讃は行われておらず、法然上人の跡を継いで浄土宗の二祖であるというのに、親鸞上人などに比べて、皆があまり知らない存在であることに皆さん憂慮しておられたようです。勿論浄土宗の内部では有名な存在なのでしょうが、僕も浄土宗にいる少し前までは知らず、知ってからやっと三年目というところです。『鎮西国師行状和讃』は天保七年に木版で出されているので、その当時にはかなり普及していたはずですが、寺でもまだ見つかっておらず、こんな形で、過去が忘れられていくものなのかと、ちょっとびっくりしたことでもあります。この『鎮西国師行状和讃』のことの他、自分の思っていることなどを二時間ほど話をさせていただきました。詳しくはこれから書いていきたいと思っていますが、康慶仏師や熊谷次郎直実すなわち蓮生上人など、聖光上人の出会ったいろいろな人たちのこと、同じ年に生まれた藤原定家とのこと、親鸞上人とも共通点のある聖覚法印のこと、また平家物語の成り立ちなど、興味の尽きないことばかりで、話をする僕の方も、聞いてくれた上人の方々も熱心に耳を傾けてくれて、申し訳ないような気がしました。大本山善導寺の境内全般の他、宝物館も開けて下さり、鏡御影(かがみのみえい)といわれる元久二年二月十三日に描かれた法然像や法然上人、聖光上人の直筆、色鮮やかな絵詞伝の元の絵の掛け軸など見せていただくことができました。僕の話については、私記という形で、これから書いていこうと思っています。青柳英珊師や梶村昇先生や梅原猛先生の書かれた法然上人像や聖光上人像がその基になっていますが、僕なりの新しい視点があると思っています。
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