三浦光世さんの歌集
以前から三浦光世さんの歌が気になっていたのですが、何とか『共に歩めば』(綾子さんとの共著)『吾が妻なれば』『夕風に立つ』の歌集を手に入れることが出来ました。森下辰衛氏等、三浦綾子文学記念館の皆さんのご協力ご厚意にも感謝しています。これからじっくり読んでいかないと。僕と光世さんとのお付き合いは実は、綾子さん危篤の時からでした。今気になることですが、そのころからの光世さんの歌集はなく、いろんな本やお手紙などの中にちりばめられているだけです。今そんな歌集が計画されているのか、気になります。まとまって読んでみたいし、もし僕で出来るのなら、まとめてみたいという気もあります。
勤めをしながら、流氷記を出しながらの合間に是非、光世さんの歌に触れてみたいと思っています。
心で詠む歌、歌壇に関わらない歌という点では、僕と共通しているし、共感するところが実に多いのです。しめやかに読んでいきたい、読んでほしいといったところ。
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コメント
はじめまして。十勝在住の河田珠美といいます。私は 下手なりにも 短歌を愛してる一人です。一人で 思うがままに 歌を詠んでます。短歌を誰かに習った方がよいのか…いつも思案しています。私は 十勝の四季 景色が好きです。朝焼けと夕照に いつも見とれています。歌を歌うのは 自分の存在 骨塵になるまで歌えたらいいと思ってます。コメントを書こうとしても 勉強不足な私は書けず 自分勝手な幼稚な文になり すいません。何かを 書かずにいれませんでした…すいません。これからも 読ませて頂きます。9月なのに 暑い十勝より
投稿: 河田珠美 | 2007年9月15日 (土) 01時12分
場違いなコメントをかきすみません…
投稿: 河田珠美 | 2007年9月15日 (土) 01時13分
今パソコンを開いたところです。コメント有り難う御座います。誰かに習っても良いし、習わなくてもいいと思います。良い感性は、誰かに習うというものではありませんから。ただ、自分の好きな歌や詩や風景などは大切にしていって欲しいです。十勝の四季やその風に直接触れられるのがいいですね。僕も歌を作るときは、そんな風に触れるように、その感覚を思い出すようにしています。所詮人まねはできませんから、実感で作っていくのがより確かなことだと思います。ここのリンクの流氷記ホームページを覗いて読んで下さいね。ご住所お教えいただければ(メールででも)流氷記をお送りしますよ。またご遠慮なくご意見下さいね。
投稿: 川添英一 | 2007年9月15日 (土) 08時33分
おはようございます。お忙しい中 早速のお返事ありがとうございました。感激していて…なんて 書いていいか 頭の中が真っ白です。お返事を読みながら なんか 嬉しくて…ほほを熱いものが すべり落ちてます。ありがとうございます。私は 十勝の風景 愛 そんな歌を詠んでます。川添様の温かな気遣い嬉しくて…住所は どこに明記したら よろしいのでしょうか?教えていただけたら嬉しいです。 私のつたない歌を 親友が読み こんな名前をつけてくれました。桜憂姫 これが 歌を詠む時の名前です。お返事いただき 嬉しくて 歌を詠み続けていく力をいただいたようです。ありがとうございました。
投稿: 河田珠美 | 2007年9月15日 (土) 11時02分
下の僕の名前をクリックしてもいけると思いますが、一応僕のメールを記しておきます。ここへメールして下さい。
ryuuhyouki@nifty.com
投稿: 川添 英一 | 2007年9月15日 (土) 13時30分
三浦光世さんの歌、
いい歌ですね。
どの歌も。
何が違うのでしょう。
歌というものが、
小説など散文と違うものから成り立っていることを感じます。
この短い一行は。
残滓を洗い流された一行。
小説の完成形と歌の完成形は違うのですね。
どんなに切実な内容を、どんなに生々しく
歌っても届かないものが、
寧ろそれでは届かないものが、
淡々と涼しく歌って届く。
〈私〉という生なものが一旦消えて
はじめて現れる、歌。
投稿: 祥 | 2007年9月29日 (土) 09時38分
祥さん、メッセージありがとうございました。短歌というのは実に不思議ですね。短歌はこうだと言えるもののない不思議さを感じています。三浦ご夫妻で言えば、綾子さんの文章は光世さんあってのものだし、根底の短歌あってのものがあるように感じています。それも、今はうまく言えません。不思議ですね。
投稿: 川添英一 | 2007年9月29日 (土) 19時55分