三浦綾子さんの歌から
『共に歩めば』三浦綾子歌から
光世さんと比べると、少し歌の出来にムラがあるなと思いました。裡に秘めた感情の激しさを表しているのでしょうか。チェックを付けた歌を記します。
雨しぶく丘の小径に佇みて一つの想ひに堪へてゐたりし
自己嫌悪激しくなりて行きし時黒く濁りし雲割れにけり
惰性にて行き居る吾と思ひたり体温計をふりおろす時
還り来ぬ兄の噂に及びし時無言となりて席を立つ父
フォルマリンの匂ふ寝巻に着更へつつ心素直になりて行きたり
耐えがたきまで逢ひたしと思ふ夜よ隣家の屋根の雪滑り落つ
命いたはりひたに生きむと思ふ朝障子に写りて鳥影よぎる
或時はひたに生きたしと思ひゐてむさぼる如く聖書読みゆく
希望ある人の如くに胸を張り歩み行くかも晴れたる今朝は
吾が髪をくすべし匂ひ満てる部屋にああ耐へ難く君想ひ居り
部屋隅の便器に跼まり吾が尿の音弱々と立つる聴き居り
相病めば何時迄続く幸ならむ唇合はせつつ泪滾れき
相病みてこのまま果つべし一度でも君に抱かれ臥したしと思ふ
愛情かはた慾情か荒々と抱き給へば吾は淋しき
何気なくギプスベッドを叩き居しに気づきて俄かに淋しくなりぬ
君死にて淋しいだけの毎日なのに生きねばならぬかギプスに臥して
女よりも優しき人と云はるれど主張曲げし事は君になかりき
年下の君に優しくもの言ひて吾の心の落着きてゆく
前髪の垂るれば忽ち亡き君によく似る君を吾は愛しぬ
酢の匂ふ飯をあふぎつつ今宵わが君に告ぐべき事を思ひぬ
あざやかに林檎の皮をむき給ふ君は如何なる夫となるらむ
浴衣着て共に歩めばしみじみと結婚したる吾等と思ふ
幾度か夕茜雲を振り仰ぎ夫に寄り添ひ帰り来りぬ
病む吾の手を握りつつ睡る夫眠れる顔も優しと想ふ
電気器具の揃へる厨に働きてある時さびしと思ふことあり
夫の顔を双手に抱きてくちづけぬ共に短き命と想へば
首曲げてみつむる夫の表情の亡き君に似るを今日は怖れつ
雪原とまがひしは銀色の沼にして枯葦原をわが汽車は行く
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コメント
…「夫の顔を双手に抱きてくちづけぬ 共に短き命と想へば」なぜか この歌が 心の耳に響きます。この世を 生きるには 愛はなくてはならないものだと…穏やかな愛が欲しい歳になったと…
投稿: 河田珠美 | 2007年9月23日 (日) 22時27分