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2007年5月 5日 (土)

怒りなど

 清水の次郎長の喧嘩のやり方に、刀の先を相手と触れて、相手の強さを見るというのがあります。自分の刀の先で相手の刃先を押すと、強く押し返す相手は弱くて、これは勝てる。でも、そのまま柳がなびくように、逆らわない相手がある。これは強いのですぐに逃げるとのこと。これが喧嘩のやり方だと語ったことがある。清水の次郎長は幕末の剣客、山岡鉄舟とも交流があり、剣の要諦に触れた言葉だと、『山岡鉄舟』の著者、大森曹玄師も言っていました。曹玄師とは彼の生前、彼の講演を聴いたことがあります。
  このようなことが意識の背景にあるせいか、相手の怒りや挑発にそのまま乗ってしまうのは、自分が至らないせいだと考えるようになってきています。
ここだけにしかない論理が突然に現れて悪にされることあり(槌の音)
悔しくて眠れぬ夜は選り分けて言葉を歌となるまで磨く(帽子岩)
群れないと逆境になる職場にて独りしみじみ十年が過ぐ
どうにでも言える論理の応酬に少し厚かましい方が勝つ(秋徒然)
悪しざまに生徒を笑う教師あり自分が言われているように聞く
見るからに意地悪そうな人が意地悪にて少し気の毒になる(蝉束間)
つまらない人にこだわるつまらない自分を見ている自分がありぬ(蛍)
見せしめのありて秩序の保たれる人の集まりなのかと思う(未生翼)
人を責めぬ人良き人が責められる習いかかくも夕焼け沁みる(蜥蜴野)

  怒りに関わる歌を集めてみました。清水の次郎長ではありませんが、人は怒らせてみると、その人の本質が見えてくるものです。自分に悪いことがあると自分のせいだと思え、良いことがあると人のせいだと思え、などとお説教した人が、ちょっと自分の自尊心を傷付けられただけで、人を悪し様に言い、威張って怒っているものです。でも、怒りは確実にエネルギーになります。僕にとっては歌作りに不可欠のものなのかもしれません。これからも、怒りのような感情の形には、大いに関心をもって観察していきたいと思っています。

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コメント

>人は怒らせてみると、その人の本質が見えてくるものです。
なんだか、「三浦綾子さん」から言われたように受け止めました。(;^^)

投稿: Nタマキ | 2007年5月 6日 (日) 00時05分

怒らせようとしても、怒らない人は多いし、怒らせようとしなくても、怒る人は烈火の如く怒るものです。それはその人特有のもので、それを理解するより他ありません。成る程という怒りにも時々出会います。そんなときは感心してしまうもので、僕もやっぱり怒らないと駄目だなぁと思ったりします。怒りというのも興味深いものですね。コメント有り難う御座います。流氷記の一首評の方もお願いしますね。

投稿: 川添英一 | 2007年5月 6日 (日) 06時01分

ご無沙汰しております。m(__)m
これから数日、家を離れ 旅人となります。
2月の「流氷」以来ですが・・・一首評を持って
出かけマス。
なるべく早く、発送する予定では、あります。
ごめんなさい・・・

投稿: Nたまき | 2007年5月19日 (土) 07時46分

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