道東の旅 三浦光世さんと
9日女満別着。レンタカーで美幌峠から宇登呂へ。女満別の本田さん宅は留守。そして美幌峠は吹雪いていました。道も雪道で悪くスピードもあまり出せませんでした。五時過ぎに宇登呂に着き、そこで絵葉書や知床のポスターなどを出している赤澤茂蔵さんとお会いしました。僕が昔からあこがれていた人でとても素敵な人でした。彼はプロ以上の写真を撮っているにも関わらず、プロではなく、郵便配達のアルバイトをしていると聞いてびっくりしました。僕の親しい人は総じて世渡りが下手で、ああ、と思いましたが、それだけ彼を素敵に感じたのも事実です。もう一人ウトロ小中学校の校長の伊藤実さんと。彼は網走二中時代の同僚でした。翌朝、知床自然センターに行き、知床の山から朝日が上がるのを見ました。たくさん写真も撮りましたよ。フレぺの滝のところまで行きました。
天気が良かったので、摩周湖にも行こうと思い、摩周湖、美幌峠を通って佐呂間へと考えました。途中日の出の知布泊の喫茶店へ。喫茶店主の七條一子さんは本田さんの死を聞いてびっくりしていました。彼の死の数ヶ月前、奥さんと共に訪れていたそうです。彼にとっても本当に好きな場所だったんですね。文庫本流氷記の表紙の夕日の写真の所です。標茶から摩周湖に上る。摩周湖は凍っていませんでした。冬の摩周湖は初めてでしたので感慨もひとしおでした。それから屈斜路湖へと下る。和琴半島で白鳥の群れを見ながら、また本田さんと行ったことを思いだした。美幌峠へ。前日見えなかった湖がくっきりと見えた。これも嬉しかった。それから女満別を通って佐呂間へ。女満別では本田重一さんの奥さんと息子さんと少し話を。勿論仏前に参り本田さんと聞こえぬ会話を交わす。佐呂間までは比較的スムーズだった。時速百キロ近くは出して軽快だった。佐呂間の民宿いとうでは伊藤勝子さんと楽しく話すばかり。心の通じる人と話すのはとても楽しい。とても素敵な女性でした。佐呂間から常呂から能取岬へ。能取岬にはあまり流氷はなかったが、流れ着いた流氷の形が面白い。それから二つ岩へ。二つ岩の渚亭には網走二中時代の教え子の吉田君がいるので、ちょっと覗いてみようと寄ってみたが、それからが奇跡のような旅になりました。宿には『三浦綾子文学の旅』の立て札が。そんなツアーもあるだろうと思い、吉田君に聞いてみると、何と三浦光世氏がいるではないか!!早速挨拶へ。三浦光世さんもびっくり、そしてとても喜んでくれた。僕の文庫本流氷記の帯に光世さんの推薦文があるのを見つけたガイドの人が、その日(11日)の七時から勉強会をここでするので、是非話をして欲しい、という話にまでなった。『三浦綾子読書会《燃えろ流氷》『続氷点』網走大会』というのがこの文学の旅のテーマである。二つ岩でみんなで記念撮影。僕は三浦光世さんと。それから黒江勉さん(三浦綾子さんとも親しく、『氷点』では、高校美術教師ということで、実名で出ている)とも写真を撮ってから、中川イセさん宅へ。中川イセさん宅では親戚の人が集まって古い写真の整理をしていた。光岡愛子先生ともそこで会うことが出来た。お参りをして少し皆さんと話した後、井上冨美子先生宅へ。いつまでも美しい人だと何時も感心する。心も美しい人なのでそんな人もいるものである。
バタバタと買い物などを済ませて宿で簡単な食事の後、二つ岩に急ぐ。何も資料もないが、文庫本の一部をコピーで切り抜き資料を大急ぎでつくり、コンビニで資料作成。今は便利なものである。七時に渚亭で読書会の人らと過ごす。僕も流氷記のことや、この二つ岩のこと、続氷点のことなどを話した。何しろすぐ近くに網走二中があったのだから‥。僕の話の後、クイズなどもあり、それを当てなどして、光世さんの短冊を手に入れたりした。「着ぶくれて吾が前を行く姿だにしみじみ愛し吾が妻なれば」という僕の好きな歌の三浦光世さん自筆の短冊である。まあ、夢のような夜。宿に帰り、朝六時半にばたばたと食事して勘定も済ませて渚亭へ。一行の朝食にも同行した。そのあと光世さんの部屋でゆっくり話をする。続氷点で燃える流氷を見た、その部屋である。光世さんは本当に喜んでくれた。彼の自伝『青春の傷跡』の本を戴き、サインまでしていただいた。また『三浦綾子カレンダー2007言葉の花束』も。その十一月の所にもサインをしていただいた。皆さんにも挨拶をしてぎりぎりまで「文学の旅」の人々と三浦光世さんの許にいて、女満別へ出発。そして関空へ。そんな夢のような旅でした。
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コメント
久しぶりに先生とお会いできて、懐かしさと共に先生の歌人の風格漂う雰囲気に圧倒されました。自分に正直であることにこだわり続けた生き方は、うらやましさを感じるほどです。私にとって、大変貴重な再会をさせていただきました。今後益々のご活躍を祈っております。
投稿: 伊藤 | 2007年2月18日 (日) 20時30分
伊藤さんには佐呂間富武士で大変お世話になりました。今回佐呂間はあまり見られませんでしたが、佐呂間も魅力のある所です。また何度も行ってみたいです。本当に楽しい話ばかりでしたね。僕も日頃このような話は余り出来なかったので夢中に話しました。気が付いたら一緒に写真を撮ることもなく、ああ、迂闊だったなと思いました。その分、また北海道に行かないととも思いました。
投稿: 川添英一 | 2007年2月18日 (日) 22時33分
こんばんは
網走では お話ありがとうございました。
今夜 旭川で行われた読書会に 札幌から石井さんが
写真を持って参加して下さいました。
いずれ 川添さんにも届くと思いますので 楽しみに待っていて下さい。
九州でも 三浦綾子読書会 があるハズなので 是非出席してみてくださいね。
では 川添さんの作品と再会を 祈りつつ
旭川三浦綾子読書会会計 村椿
投稿: | 2007年2月23日 (金) 00時09分
村椿さまへ
網走二つ岩は、僕の勤めていた当時の網走二中の近くで、お話ししたように海岸町から二つ岩まで「近づけば近づくほどに寄り添いて一つの岩となる二つ岩」となる終点が二つ岩なのです。僕が「陽子の道」と名づけている道でもあります。そんな二つ岩で三浦光世先生や、みなさんとお会いできたことは奇跡のような出来事でした。この旅に掛かった費用などを考えると恐縮することばかりです。何らかの形でお手伝いをしたいと思っています。写真も楽しみです。僕の写したみんなの写真もありますので、皆さんにもお送りしなければと思っています。僕のメールにご住所等お教え下さいね。これからもよろしくお願い申し上げます。
投稿: 川添英一 | 2007年2月23日 (金) 21時19分