流氷記を紹介
流氷記を紹介しましたと長岡さんからコピー付きの便り。『日本歌人』十一月号でした。
〔時評〕個人誌歌集の楽しさ
長 岡 千 尋
大阪高槻市在住の川添英一氏は、縦十センチ、横六センチの手に乗るような豆本短歌個人誌を出し続けている。――その誌名は「流氷記」で、今夏、第四九号(思案夏)を発刊している。表紙裏・表ともにカラーで、八十ページ、本文の紙は明るいグレーと凝っている。いかにも手作りという感覚がお洒落で、全国の短歌誌はたくさんあるだろうけれども、これは川添氏だけの世界である。
氏は、二十歳で「塔」に入会、編集を担当するなどその才能を発揮し、池本一郎氏、永田和宏氏らとともに「塔の第三の新鋭」といわれた。しかし、「塔」の左翼的体質が嫌になり、「塔」の編集から離れ、歌壇から決別し、北海道へ移住している。―三十代半ばで再び復帰、現在は中学校の教師を務めながら、作家活動を続けている。
氏は多作で、毎号、百首近い作品を収めており、その努力を敬しつつ、私はいつも何かその憑かれたようなものに、衝き動かされるのである。ちなみに、この短歌誌のユニークな点は、毎号、氏の作品を、ジャンルを越えた名士に短評してもらっているといいうことだ。
四九号では、吉行和子氏(俳優)・中村桂子氏(科学者)・和田吾朗氏(俳人)・島田陽子氏(詩人)・三浦光世氏(三浦綾子文学館長)といった多士済々。歌人では米満英男氏・萩岡良博氏と私の知己も参加している。それ以前の旧号をめくっても、阿川弘之氏・北杜夫氏・藤本義一氏・田辺聖子氏・落合恵子氏などという著名人の名が出ており、川添氏の交際の深さに驚くわけだ。―
それは別としても、氏のユニークさは、亡き母の知人、学校の保護者をはじめ以前、勤務していた中学校の教え子から、現在勤務する茨木市立西中学校の生徒の短評まで掲載されているということだ。だからこの個人誌は、氏の教育の場でもあり、教育者としての志と方法を模索した結果が、文学として表現されているということになろう。―一例だけあげてみる。
中二の女子のB・Rさんは、
・花びらはゴミとなりつつ桜散る瞬時瞬時が目に浮かびおり
を評して、桜には満開の時と、舞い散る時があるが、「私的には、舞い散る桜を見ている時のほうが、とても、綺麗だと感じます。」と率直な感想を記す。散ってゆく花の美しさを見た少女の情緒を、短歌が発見させたのである。私はこれを見て国語教育の大切さを思った。国語の乱れは、国の乱れであり、こんにちの社会問題でもあるが、川添氏のこの小さな言葉の力が、さざれ石を巌となすのである。―氏の作品をあげてみよう。
・色褪せて紫陽花開く傍を行く母の死いまだ鮮やかにして
・近づけば蓮池ざわと揺れてくる一瞬ありて鎮まり戻る
・逆さまに実は見ている目の部分持ちて奈落に吸われつつ寝る
・何時の日か私の私の視野も消ゆ映画のような日々と思えば
・原爆で亡くなりし蝉じりじりとあの夏伝う人揺れて見ゆ
・時止めて蝉の羽化やわらかく過ぐ今夜の眠りは月浮かべつつ
・電線に繋がれて立つ電柱を伝いて帰る独りの部屋に
〔『日本歌人』二〇〇六年十一月号〕
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