編集後記
志書くべし田中栄言う編集後記なめたらあかん(無法松)歌誌などを見ると一番気になるのが編集後記。その文章からその人の心根がわかるものだ。作者も編集者も、どのような世界を作っていくのか、その世界を、またその抱負を語って欲しいのだ。塔十月号には塔の人が角川短歌賞を受賞したことが重複して書かれていた。その作品の世界より賞を取ったということの喜びであるが、僕は率直にちょっと厭な感じを覚えた。彼らの意識の底を見た思いがしたからである。僕はあまり賞そのものには信頼を置いていない。有名な芥川賞にしても太宰治も三島由紀夫も取っていないし、内海隆一郎さんなども同様である。思えば僕は小学校の時無数の書の賞をもらっていたし、中学の時には中国大使館賞というのももらった。大蔵中学校で二年前には舛添要一の取った賞でもある。でも、それは全て父親の手本を左において、それを上手に真似たというだけのもの。大学で書道科に進んだが、日展に出品する仲間もその師匠から手本をもらってそれを真似するというだけの世界だった。網走で大東流合気武道を修行、全国演武大会で最高の金賞も受賞したが、当時本部で総務副部長を務めており、確かに昇り調子ではあったが、その総務での功績を慰めてのことであったと思う。武道などやればやるほどその奥深さと、ちょっと油断すれば命も落とすことなど、まあ、危なきには近寄らぬほうが良いということを少し会得する程度、僕が最高に優れていたわけではない。何よりそれを決める人が身近にいたというだけ。角川短歌などもその傾向にある。俵万智が受賞したときも審査員の一人は佐佐木幸綱であった。そんなことより、どんな世界をつくり、また目指そうとしているのか、そんな指針をしっかりと表していくのが編集者の仕事であると思う。賞や肩書き、学歴などに触れることすら恥ずかしいと思うほどの感性があってもいい。ぼくはやはり嫌な感じがした。
簡単に認められなどするものかこの自負持って生きて来しかな(桜一木)
こんな馬鹿が一人くらいあってもいいと思う。本当にそう思う。
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コメント
お世話になっております。
編集後記というのは、確かに編集者の姿勢が垣間見られるところで、非常に大切ですね。小生も始めに「塔」を手に取った際には、この編集後記を読んで、編集の質やレベルを読み取ろうと思いました。こういうところに下らないどうでもいいようなことを書く様な御仁と言うのは、対して中身も無く、また情熱に乏しい人間であることがすぐに分かります。ブログなどでも他人のコメントにどの様に応接するかという部分で、はじめてその方の人となりが知られるのと同じであると思います。
とりわけ編集後記の中でも、永田氏の『「塔」の多くの歌人は澤村さんと同様、それに値する実力を持っていると思っている。』とのコメントは、読みようによっては非常に陳腐であり危険な傾向を孕んだ言葉と受け取れなくも無い。単に同人を励ます意なら問題ないが、うちの結社はレベルが高いのだなどという、根拠の無い自負を主催者が持つということは、結社の価値と自己の価値を等価として考え、結社のレベルも高く、即ちそこを牛耳る俺様は最高に偉いのだ、との意識があると読み取れなくも無い。少なくとも、色々な個性豊かな結社が数多く存在する中で、自分の結社を自画自賛するのは非常に謙虚さを欠いた言動だと思う次第である。
投稿: 西園寺 | 2006年10月20日 (金) 08時26分
コメント有り難うございました。そうですよね。「それに値する実力を持っている」の後に続々と賞を並べ立てるというような姿勢の発言を読んだりすると、勲章を胸に飾った昔の人の写真が目に浮かぶものです。僕の親戚にもそんな写真を得意げに飾っている人もいましたがね。編集者などは作品に対する謙虚な姿勢が大切です。賞や肩書きや学歴などに媚びる姿勢は見苦しいといつも田中栄さんと話していたことがなつかしいです。塔の十月号の編集後記で永田が書いた後に何故松村の『角川短歌賞」の記述があるのか。もっと書くことがあるだろう。と今号でたぶん本田重一さんについての記述は最後になるだろうという思いがそういう言葉になった次第です。
投稿: 川添英一 | 2006年10月20日 (金) 20時26分