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2006年3月 8日 (水)

貧乏名人

今卒業式の寸前で帰りも遅く書き込みがなかなか出来ません。今日、素敵な文章を見つけたのでここに紹介しますね。

「無い」よりは「有る」ほうがいい。
 そう思うのが大方の見方ですが、はたして本当にそうなのでしょうか。取材のとき、ある大工の棟梁が教えてくれました。
「昔は師匠によく『貧乏したけりゃ腕を磨け』といわれたもんです」と。
 思わず「貧乏したくなけりゃあ腕を磨け、ではないんですか」と問い返しました。
「いいえ、貧乏したけりゃあ、でございます」
 棟梁は断固とした調子でした。
 金をもうけることにこだわってはいい仕事ができない、金が「有る」よりは「無い」ほうを選べ、という教えです。大工仕事にせよ、春慶塗にせよ、一刀彫りにせよ、飛騨高山では「あの人は丁寧な仕事をする」というのが最高の褒めことばのようでした。
 名人はいい財を選んで丁寧な仕事をする。十両の注文に十三両をかけてしまう。それでいて注文主には十両で渡す。当然、三両の赤字です。もうけにこだわらずに、いい仕事にこだわり、格好のよさにこだわる。貧乏覚悟で腕を磨くのが名人への道だということでした。やせ我慢を強いる教えでもあります。
 もうけが「無い」ことに誇りをもて、なんていう教えはいささか時代錯誤で、トテモツイテイケナイという感じがするのではありますが、そう思いながらも、私はこの「貧乏したけりゃあ腕を磨け」という教えが好きです。
 腕がいいのに、いや、腕がいいからこそ、丁寧な仕事をしすぎていつも貧乏所帯から抜けきれない、というオジサンの腕は無条件に信用できたのではないか。いや、過去形ではなくて、いまでも、それに近い職人さんはたくさんいるはずです。
 無名であろうと、どうであろうとそんなことはどうでもいい。金へのこだわりの有り無いでいえば、むしろこだわりの無いほうを選ぶ。そしてただ、自分のつくるものに責任をもつ。そういう志を持ってつくられるものにはおのずから品格というものがあるはずです。             (辰濃和男「漢字の楽しみ方」から)

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