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2006年1月10日 (火)

今年の年賀状から

今年も沢山の方から賀状戴いた。その中で島田陽子さんの賀状に感銘を受けた。十一月に流氷記の一首評と詩誌と一緒に手紙が添えられており、十二月には手術をするので賀状は出せませんということだったので、すぐ葉書を出してお身体第一にと書いたのみだったが、賀状はびっしりとご自分の自筆によるお手紙のような文面だった。内容はここで控えるが大変な手術、今も療養中で二月から始動するとの決意が書かれていた。島田さんは僕の敬愛する詩人だが、言葉をとても大切にするし、そのこだわりの凄さは、その生命の全てを賭けているのではないかと思うほど。ぼくもどんな小さな事にもこだわれるような感覚と知識を持っていたい。他にも心の籠もったものが多く、年賀状は宝物のひとつでもある。

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コメント

 先日、失礼なコメントを寄せたGです。たかが「与太コメント」に、かくもご丁重なるご返事。大変恐縮致して居ります。
 遅出しながら、明けましておめでとうございます。
 『槌の音』八十首を鑑賞していたところ、「一昔前といえども時代劇出演者はほぼ故人となりぬ」「時代劇いつもついでに殺される人あり一件落着なんて」という、興味深い時代劇関連の二首に出会いましたので、所感を述べさせていただきます。
 私も川添さん同様、往年の時代劇ファンですので、一首目の「出演者はほぼ故人となりぬ」には、全く同感しました。松の内のNHK総合テレビで、市川雷蔵について、どなたかが語っておられましたが、私は、彼の出演した『薄桜記』という作品が大好きで、川添さんの歌に接した瞬間、すぐ、この作品を思い出しました。雷蔵を初め、阪妻、千恵蔵、右太衛門
、嵐勘十郎、大友柳太郎、中村錦之助、進藤栄太郎などなど、みんなみんな亡き人です。  政界を巻き込んだ疑獄事件などで、省庁の小者官僚や民間会社の課長・係長クラスの自殺で以って「一件落着」という運びになることがありますが、「一件落着」の「人柱」とも言うべき彼らと、川添さん作の二首目の「ついでに殺される人」とは、あまり関係がないのでしょうが、私は二首目を読んだ時、何故か、疑獄事件の一件落着の人柱となった、彼ら小物のことを思い出しました。今度の姉歯事件でも、人柱が出ましたね。
 川越さん作のこれら二首は、いずれも冗談めかして読まれた軽い作品で、作者ご自身としては、どうでもよい作品なのかも知れませんが、これらに接した者に、さまざまな感慨を与えます。
 こういうところが、作品の力、作者の力、なのでしょうか。
 

投稿: G | 2006年1月11日 (水) 11時58分

有り難うございます。前にも書いたように、書いたものに反応があるのは嬉しいものです。また、ぼくの歌の鑑賞まで、ありがとうございました。できれば名前を名乗って頂ければもっと嬉しいのですが。前にも書いたように、作家は、どんな些細なことにもこだわるべきだと思います。このこだわりについても、書きたいことかありますので、書きますね。ともあれ、有り難く嬉しく感じました。

投稿: 川添英一 | 2006年1月11日 (水) 22時29分

もう一つ。正月の市川雷蔵についての番組は僕も見ました。彼が相撲をやっていたのにはびっくりしました。武道でも相撲が基本ですからね。ちなみに、僕の好きな雷蔵の映画は一つ挙げれば、新平家物語です。

投稿: 川添英一 | 2006年1月11日 (水) 22時32分

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