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2006年1月 9日 (月)

年賀状一枚

今日は二度も書き込むことになる。反応というのは有り難い。意識して思っていなかったことを気付かされたからだ。思えばこの35年ほどの間、ぼくは独自の年賀状を出してきた。「たかが年賀状」と思い文例の通りの賀状を出している人がほとんどの中で、歌をつくり独自の文面でずっと作ってきた。歌も文庫本に纏めるときに残るようなものばかりだったし、貴重なものなんだが、35年ほどのうちきっちりと整理して僕の内に残ってはいない。意識もせず当たり前のように作ってきたものだ。ただ亡くなった母から「英ちゃんの年賀状が最高よ。他にこんな年賀状がどこにあるね」と言われ褒められたことがあるのみ。数えたことはないが文庫本の歌の中の30首くらいは年賀状に書いた歌だ。こんなことに気付かされた。ただ、ぼくが「たかが☆☆」と思っていることに他の人はこだわっている訳で、それを発見するのも面白いことだ。ちなみに今年の僕の歌は「年越える ただそれだけの 歓びを 伝えん あと幾 たび言えるのか」である。田中栄さん、本田重一さん、そして年末の松田義久さんの死など、ぼくにとっては今年、その年を越えたことを伝えられない人ばかりだった。その気持ちからこんな歌になったものだ。ぼくにとって、賀状の一枚、葉書の一枚、手紙の一通、流氷記の一号一号、それらは命の言葉を伝えるものだから、たかが、ではない。

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