観察するということ
こだわりということが少し周りに分かってもらえるような気がして、この文を書いています。塔の再入会の時、田中榮さんより職業と短歌について書いて欲しいといわれ、田中さんと共同で書いたことがあった。職場の中の自然や建物などいろいろな事に目を留めて観察を怠らないようにという趣旨で書きました。一刻一刻の自分の観る風景から発見があるような目を持ちたいということ。その原稿も田中榮に送り、何度か書き直しなどしました。発表されたとき花山多佳子から、幼稚だと酷評されたとき、ぼくは呆れ、田中さんは「本質的な事を述べているのに…」と怒っていた声が、今も耳に残っています。彼女は俵万智の歌を挙げて、こう作るべきだと書いていたようでしたが。その辺りからか、歌壇への興味は失せてしまったようです。僕は最初、書を目指していたので、師匠から手本を書いて貰い、それを忠実に写して、日展などに出品して出世していくというのを見て来、そうせずにこの道を歩んできたことから、その嫌な匂いを感じたものです。こうすれば世に認められるという既成のストーリーから、いい作品は生まれないと思っています。
僕の尊敬する吉田富士男さんの日々の観察日記には、植物や鳥や昆虫などが散りばめられている。今年は鳥に絞られているようだが、日々、五十以上もの観察されたものの記録が書かれていることもあった。吉田富士男さんや野呂希一さんの観察眼やその文章も素晴らしい。僕はその何十分の一も観察の足りないことを自覚している。吉田さんのHPを覗くと今日の観察されたもの。鳥だけ書いてあるのが少し残念ですが。<今日観察出来たもの>鳥/ワカケホンセイインコ、アオゲラ、スズメ、ヒヨドリ、シジュウカラ、メジロ、トラツグミ、ツグミ、アカハラ、シロハラ、バン、カワウ、ユリカモメ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、キンクロハジロ、ホシハジロ、カワセミ等。 とある。当然ながら、田中さんも感心していた人の記録です。
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コメント
今日の日記を拝見したおかげで、吉田富士男氏という卓越した自然観察者の存在を知りました。早速、氏のホームページ「道端自然観察館」を覗いてみました。「星の部屋」とあるので、首都圏の上空に輝く星の写真集かと思って開いてみたら、星以上に私が興味を持っている茸の写真集だったので、驚くやら嬉しがるやら。吉田氏のプロフィールのページも開いてみました。氏の居住地が、横浜市の港北区だったので、更に親近感を持ちました。私は、神奈川県内の県立高校の教壇に三十年余り立ち、先年、定年退職して郷里にUターンした者で、横浜市青葉区の青葉台駅や港北区の綱島駅は、私の長年の通勤ルートでした。Uターンの最大の理由は、このまま、横浜市に住んでいたら、碌な自然に出会えないだろう、ということでしたが、吉田氏のホームページを見て、それが、いかに浅はかな考えであったか、ということを認識しました。
吉田富士男氏を知る機会を与えて下さったのは川添さんです。ありがとうございました。
投稿: G | 2006年1月14日 (土) 16時58分
私の「横浜観察」は、極めて不徹底なものだったようです。吉田氏の観察地のほとんどが、私が足を運んだ地であることを知るにつけ、そのように感じられてならないのです。
投稿: G | 2006年1月14日 (土) 17時04分
とても嬉しい反応でした。吉田富士男さんや野呂希一さんの活動は、僕のやりたいことの指針になります。不易、流行という言葉がありますが、流行や毀誉褒貶にのみ走る歌人という人種からはどうしても遠ざかってしまいます。ぼくはもっともっと観察をと強く思います。
投稿: 川添英一 | 2006年1月15日 (日) 08時31分