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2006年1月14日 (土)

冬芽・ロゼット

吉田富士男さんの『花の二十四節気』の三番目の項目には「役者揃いの冬芽観察」とあり、さまざまな冬芽が紹介されている。ぼくの家の近くにはもうぐしゃぐしゃになった紫陽花の花があるが、その横から確かに冬芽が出ている。「花は盛りのみ見るものかは」と言った古人があったが、このような発見こそが、僕らの喜びのような気がする。桜は、あでやかな花の季節、その衣を脱ぐように入れ違いに新緑の葉の鮮やかさ、トドの膚を思わす樹膚の匂いや蝉の季節、それから様々な朱の紅葉、散り尽くし枝だけになって冬芽が育つ生き生きとした世界。その全てが桜の旬である。冬芽と同じくロゼットについても同じ。タンポポのロゼットなど、まるで雪の結晶のようではないか。人間も青春が旬なのだろうか。いや、生きている間の全てを旬にしたい。同じく、流行にのみ乗っているのが旬ではないと思う。ブランドのバックや服や装飾品を身につけるより、全て心の籠もった手作りのものを身につけている方が、などと思ってしまうのだ。

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