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2006年1月19日 (木)

塔一月号到着

今日は塔一月号が到着した。先に自分の投稿歌を出していてよかった。塔の10月号の花山の歌は三首採っていたので、花山選なら三首も採られればいいかな、とも思っていたので、五首はどうなのか、それは分からない。この一月号の花山の短歌は一首も採れなかったので、いいうちかも。ちなみに二頁の栗木まで、僕の採った歌は
◇猿沢の池の濁りに亀棲みて家族か岩に甲羅乾しおり(澤辺元一)
◇閉経ののちも長らく生きるべしヒト科のをんなわれは水飲む(栗木京子)
の、この二首のみでした。

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コメント

 「塔」一月号に採られた川添英一作は、結局、どの歌だったのでしょうか。結社外の者としては大いに興味があるところです。先日、掲載の十首を、上から順に、「1・2・3~」と記号化して、その記号をお示しいただけたら幸いです。また、選者はどなただったのでしょうか。
 それはそれとして、栗木京子作「閉経ののちも長らく生きるべしヒト科のをんなわれは水飲む」はなかなかのものですね。さすがに栗木さん、着眼点も発想も素晴らしい。「ヒト科のをんなわれは水飲む」とは、「ヘビ科のをとこ汝(なれ)は酒飲む」を対極に置いての発想でしょうか。もっとも、「ヘビ科」なんて、存在しないのかも知れませんが。

投稿: G | 2006年1月21日 (土) 14時55分

R氏へ 花山選だと書いています。では、採られなかった歌を挙げます。

秋茄子の喉にて溶けるときめきの待てば夕べの月が出ている
アンカーの一人一気に抜きてゆく後へ後へと借景流し
次々に抜きつ抜かれつ人生のリレーもかくのごとくにありや
生活の全て捧げたこともある塔は冷たく大きくなりぬ
毎日のように語りしこともあり田中榮と三十五年

です。

投稿: 川添英一 | 2006年1月21日 (土) 23時25分

「アンカーの一人一気に抜きてゆく後へ後へと借景流し」及び「次々に抜きつ抜かれつ人生のリレーもかくのごとくにありや」のような、何処から見てもつまらない作品を採らなかったのは当然のこととしても、「生活の全て捧げたこともある塔は冷たく大きくなりぬ」を採らなかったのは、花山多佳子さんも酷いことをしたものですね。もっとも、「塔」の「塔」たる所以はその辺に在るのかもしれませんが。「象牙の塔」という言葉もありますからね。川添さんが「塔」に失望するのも尤もです。「塔」改め「党」となる日も近いでしょう。

投稿: G | 2006年1月22日 (日) 16時11分

反応は嬉しいですが、どうもR氏は僕の多分知らない人だと思います。個人誌の流氷記も多分送っていない人だと。でもHPを覗いてくれているのは有り難いです。匿名の言いたい放題というのも分かるのですが、ちょっと気になる表現があります。上の二首は僕の見方や歌い方の拙さがあるのかも知れませんが、誰が見てもの誰が僕ではなかったことは確かです。自分なりには力を入れたつもりの歌でした。こういう感じの歌の優れたものにもっと触れてみたいですね。尚、栗木は僕の好きな歌人ではありません。あの一首に惹かれただけです。

投稿: 川添英一 | 2006年1月22日 (日) 23時39分

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